『立ち食いそば完全制覇・中野篇』第1回・かけそば

――JR中野駅南口。
『駅前そばミミ』が、この企画の主戦場となる。
北口には味で定評のある『かさい』なる立ち食いそば店があるのだが、いかんせんこちらはメニューが少ない。客はそばかうどんかを選び、あとは定番のトッピングを好きなだけ、自由に追加するタイプなので、メニュー表示は「うどん・そば、たぬき、きつね……」とおそらく両の手で収まるメニューである。
東海林さだお氏が戦った富士そばは、そばはもとよりカツ丼・カレーもあり、40種を越えるメニューだと聞く。
ならば、わたくしが戦うならば、『駅前そばミミ』以外にない。
この『ミミ』。名前こそかわいらしいが、厨房に立っているのはいつも同じ、店主であろう中年男性である。
見た目もいかにも立ち食いと言わんばかりの、さびれた風貌の店構え。
しかし、噂によると、この店がその場所に頑として居座った為に、隣接するフィットネスクラブのプールが、50メートルプールを用意出来なかったという話。具体的には憶えていないが、43とか45メートルという中途半端な長さのプールなのだと言う。
なるほど、店主の見た目は頑固そうだ。


のれんをくぐると「いらっしゃい」の言葉もなく、目線も合わせない。
「かけそば」とだけ言うと、店主は「あ?」と答える。聞こえないレベルの声量ではない。わたくしはこういった頑固そうな店主には、努めて明るく、大きな声で注文するようにしているからだ。しかしここでくじけてはいけない。怒ってはいけない。まだまだ戦いは長い。
わたくしは再び明るい声で「かけそばでお願いします」と言った。
「そば? かけそばね」憮然とした表情で答える店主。
東海林さだおは「立ち食いそばは憮然とした顔で食べるもの」と言った。言われなくても憮然となる。この戦いに、心地よいスポーツマンシップなど微塵もない予感がする。


さて、ここで『駅前そばミミ』の全メニューを紹介しよう。

・かけそば           :220円
・たぬきそば          :280円
・天ぷらそば          :290円
・わかめそば          :290円
・きつねそば          :300円
・ちくわ天そば         :300円
・コロッケそば         :320円
・たぬき玉子そば        :340円
・天ぷら玉子そば        :350円
・わかめ玉子そば        :350円
・きつね玉子そば        :360円
・ちくわ天玉子そば       :360円
・コロッケ玉子そば       :380円
・ざるそば           :300円
・冷やしたぬきそば       :300円
・冷やし天ぷらそば       :310円
・冷やしわかめそば       :310円
・冷やしきつねそば       :320円
・冷やしコロッケそば      :340円
・ミニカレーライス+たぬきセット:480円
・ミニカレーライス+天ぷらセット:490円
・カレーライス         :350円
・大盛カレーライス       :400円
・玉子カレーライス       :450円
・コロッケカレーライス     :450円
・カツカレーライス       :470円


以上、全26種類。(もちろん、そばはうどんにも書き換えられる。)
富士そばのメニューには数ではさすがに劣る。
しかし、普通に店に寄った時、人は自分の定番を注文するだろう。
全制覇するという目標がある以上、避けては通れぬ、自分の好みに合わないメニュー。それがここにはある。これを乗り越えてこそ、挑戦のし甲斐があるというものだ。
誰だ!? 東海林さだおの縮小再生産なんて言ったやつは!?
聞こえないふりをするよ、わたくしは。


この店には食券は無い。
注文と同時に代金をカウンターに置く。
そばが提された時、店主がその金を黙って取り、お釣りがあれば店主が黙ってカウンターに釣りを置く。
この店主、面白いほどに始終ムスっとしている。釣りなんてめんどくせぇ、そんな声が聞こえてきそうだ。今度から小銭持ってって、釣りがないように代金を出そうと心に決めるわたくしは小心者です。


さて、かけそばだ。
先月、はなまるうどんの定期券を買ったことは、日記に書いた。その後のことは書いてなかったが、ほぼ毎日わたくしははなまるうどんに通った。もちろん105円のかけうどんを毎日、タダで食していたわけだが、元来わたくしはそば派である。そして何より、関東人だ。
正直、関西風の薄いダシは確かに美味いけれど、物足りなく思っていた。
そんな折のこのかけそば。関東風の濃い、甘いダシの香りと味は、妙に懐かしい。
かけそば。具はネギのみ。白く、辛味の強い深谷ネギが、甘濃いダシ、そばには良く合う。
そばは茹で置きのため、歯ごたえはイマイチ。だが、これこそ立ち食いそばだ。高校時代に熊谷駅構内で良く食ってたあの味だ。
ノスタルジーという味付けだけで、わたくしは満足感を得られる。これも一ヶ月関西うどんを食い続けたおかげか。
そばをぞぞぞと啜りながら、もうわたくしは次は何を頼もうかと考えている。この濃く甘いダシ、そして意外にも熱いつゆには、きっと生玉子が合うはずだ。


その時、一人の酔っ払いサラリーマンがのれんをくぐった。
彼は「てんぷらたまご」と小さな声で注文する。
大きな声でしたわたくしの注文に「あ?」と答えた店主は、当然ながら、
「何?」と不機嫌に答える。このまるで「サービス」のわかっていないぶりに、わたくしはつい笑い、そばを吐き出しそうになる。
相手も酔っ払い。「てんぷらたーまーごー」と、猫なで声にも取れる不機嫌な言いぶりで注文を繰り返す。「そんで、そば」と付け加えて。
出されたてんぷら玉子そばを見て、わたくしはやはり生玉子は良さそうだと思った。
黒いつゆに隠れた黄色い光沢が、妙に食欲をそそる。
しかし、わたくしはただのかけそば。ボリュームもそう少なくない。
次は玉子関係の注文をしよう。そう思ってつゆを飲み干した。
カウンターに置かれたままだった10円玉3枚をポケットに突っ込み、「ごっそさん」と大きな声で言って、カウンターに背をむける。
店主が何かもごもごと言う。
どうやら「どうもありがとうございました」と言ったらしい。
わたくしは勝手に思った。きっとこの店主は人付き合いが下手だ。しかし、下手だからと言って人を嫌っているわけではないし、だからって媚びようとも思っていない。
照れているんだ。
そう思うと、今後この店で見られる店主の客とのやり取りに、ちょっとした興味が沸いた。


「てんぷらたーまーごー」のサラリーマンは一見さんだろうか。常連だろうか。
ああいうシーンは、妙な緊張感がある。照れ屋で、それをムスッとした顔で隠している店主。それがわからずなぜか怒られた気分になるであろう客。
憮然と提し、憮然と食す二者。この構図は、立ち食いそばならではの光景。
富士そばは立ち食いをやめ、席を設けたことで売り上げが上がったという。
この店は永遠に席を設けないだろう。立ち食いのぎすぎすした空気が、永遠に流れる店。
女性にはオススメしない。
わたくしはこの空気が大好きだ。




かけそば
・たぬきそば
・天ぷらそば
・わかめそば
・きつねそば
・ちくわ天そば
・コロッケそば
・たぬき玉子そば
・天ぷら玉子そば
・わかめ玉子そば
・きつね玉子そば
・ちくわ天玉子そば
・コロッケ玉子そば
・ざるそば
・冷やしたぬきそば
・冷やし天ぷらそば
・冷やしわかめそば
・冷やしきつねそば
・冷やしコロッケそば
・ミニカレーライス+たぬきセット
・ミニカレーライス+天ぷらセット
・カレーライス
・大盛カレーライス
・玉子カレーライス
・コロッケカレーライス
・カツカレーライス